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  • 執筆者の写真Ayako

ルーツを辿る


先週あるアドバイスを受けました。“近所を探険すると何か次のステージに進むためのヒントが得られる”と。“それがどういう意味なのかは自分自身に問いかけてみてください、”と。

近所?探険?どういう意味なんだろう、と思いながら、そのアドバイス通り、その日以来自分の内面に問いかけ続けていました。


今朝、行こう行こうと思いながらなかなかスケジュールが合わなかったMakawaoHongwanji のサンデーサービスに行ってきました。車で15分ほどの隣町にあるこのお寺。近所のお寺のサービスに参加するということ、南無阿弥陀仏、とただ無心に手を合わせて唱えるということ、それがどういうことなのか、おそらく私が日本にずっと暮らしていたら改めて考える機会はなかったかもしれません。お焼香の香り、お経のトーン、清められ整然と設えられた祭壇。なんとも言えず、落ち着き安心できる空間がそこにはあります。ここ、ハワイではお寺は150年前にプランテーションワーカーとして移民してきた日系人の心の拠り所となり、いまもまたコミュニテイの軸となって、その教えをはじめ、文化や価値観もハワイならではの独自の形をとって大切に継承されています。


サービスの後、 朝食とお茶をいただきながらテーブルを囲み、私も皆さんのお話の輪に加えていただきました。

今日お話しさせていただいた方々は、お祖父様の代にハワイに移民されてきた、私の両親と同世代ぐらいの3世の方々だったのですが、日本生まれの私を前に、自分の先祖、祖先の故郷とそれに対する思いを何気なく話してくださいました。 家紋を見せてくださったり、日本を旅行して遠縁の従兄弟にお土産をもらった話や、お城の天守閣の階段が狭くて急で驚いた話、などなど徒然なく話して下るのですが、その端々に、祖国への愛着と祖先への誇りが滲み出ていました。


そんなお話を伺った帰り道、行ってよかったなあ、と運転しながらふと気づいたことがありました。

曽祖父の代から一緒に暮らす大所帯で長女として生まれ育った私が、常々感じてきたご先祖、家系、というものは必ずしもポジテイブな面ばかりでなく、むしろ、日本を離れて独り身で起業している女性である私にとっては、古びたしきたりやこうあるべき、という価値観の押し付けと束縛、というどちらかというと逃れたいものとしてネガテイブな側面に焦点を当てがちだったなあ、ということ。

でも実は、そこに保護されているという安心感や守り繋いできた誇りと優しさというものは、私の中に生き続けていて、それを否定して疎んじるべきではなく、ただそこにあるものとして受け入れよう、と。そして素直に感謝しよう、と。自分の内面には女性性と男性性の両方が共存しているのが当たり前なのと同じ。保守と解放。光と闇。どれも両方あって初めてバランスが取れて一体になれるものなんだ、と。


ご近所の探険、てこういうことだったのね。と気づいた日曜の出来事でした。Namuamidabutsu.ありがとうございます。

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