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  • 執筆者の写真Ayako

言葉



言の葉〜事の端とも言われる一方で、言葉は言霊ともいうほど、パワーを携える物だと思う。


私はクリスチャンではないけれど、ヨハネの福音書、英語訳の最初には

”In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.”と記されている。

日本語訳版にはここの部分が訳されていないようだけれど、英語から直訳すれば ”まず最初に言葉があった。言葉は神で、言葉は神と共にあった” となる。

言葉は神、という聖書の教えは、日本でいう言霊、というのと似ているように思うには私だけかしら。



思いを言葉にするのは難しい。思いのたけが多すぎてどう言ったらいいかわからず口に出さずにいる癖がある。


それで過去、当時の彼に“なぜ言わないのか?言わなければわからない。”と何かにつけて言われたことがあり、全て言わなければわからないのか、と(それだけが原因ではないけれど)落胆と疲労が溜まってお別れした。


言葉に出来ない自分がいけないんだ、言葉がコミュニケーションには必須だから思っていることを口に出すよう努力しなくちゃ、と思っていた。


もちろん、今でも言葉を口にしてコミュキュケーションを取ることは大切だと思う。(特にアメリカという誰もが自己主張をして当たり前の国に住んでいるせいもあるかもしれないけれど)、なんでもハッキリいうのが当たり前、言ったもん勝ち、という現代社会に暮らし、女性としてビジネスを営む上でも、誰にでもはっきりわかりやすい言葉で自分の考えを伝える、というのはスキルだと思う。そしてそのスキルを司るのは脳とマインドの部分。


それに対してハート(心)とスピリット(魂)からくる言葉はもっとずっと繊細で奥深く、“目は口ほどに物を言う”と表されるように、言葉として口から発せられた音だけではなかなか伝えきれないものだとも思う。時に、ただその手の温もりだけで安心感と幸福感に包まれたり、飼い猫が喉を鳴らすゴロゴロという音に愛おしさで胸がいっぱいに満たされたり。そんな“言葉”という、口からではないコミュニュケーションも好きだなあ、大切だなあと思う。


音の波動というものは600年残る、という説もあるという。だから、と言うわけでもないけれど改めて、言葉、慎重に選びたいなあと思う。自分の心の中で自分だけに交わす言葉ですら、自分の心が聞いている=潜在意識が聞いている=ハイヤーまで届く、と思うとそれにもawareでいたい。


私たちが生きる日常には、

言葉では掬いきれないものごとがたくさんあります。

意味に埋め尽くされたこの世界で見失いがちな、大切なもの。

たとえば、ここに私がいてあなたがいる。

そのことの途方のなさを身体ぜんたいで受け止めようとして、

詩人はいつも、何かをじっと待っています。 〜谷川俊太郎


今日もここまで私の発する言葉を読んでくれて、どうもありがとう。平穏で優しい、良い一日をお過ごしくださいね。Aloha.

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